病気の理解を得ることは不可能 ~そもそも「理解」とは?
病気の寛解には
「周囲の理解が大切」「理解者を得ること」
なんていいます。
ですが、現実はそうもいかなくて…
ツイートを見てたら「理解されない」「分かってもらえない」と嘆く人をよく見かけます。
正直当然でしょと思ってしまいます。
なぜか。
僕が理解できないからです。
何をもって「理解」とするのか?
まず前提として、理解の定義や対象が人によって違うことを押さえなければなりません。
- どこまで知ってもらえたら理解されたとみなすのか
- どんなことを理解して欲しいのか
(※後に実際寄せられた意見を紹介します)
「消えたい」って何?
実際うつ病になった僕でも
は未だに分かりません。
発作や双極は、ツイートや本で見た程度の知識はあります。
ただ、「消えたい」はほんとに分からないのです。
「死にたい」なら僕も経験はあります。
自分で死ぬことならあの手この手でできますが(やらないけど)、「消える」ってどう頑張ってもムリじゃないですか。
一瞬で消えるなんて、ゲームの世界でしかないわけです。
うーん…考えてみてもやっぱり分からない。
:::::::
上記の内容のツイートをしたら、こんなリプがありました。
自分はわかりますが、これは人それぞれなので「だからそういう気持ちを知ってる自分の方が上だ」とネガティブマウント取るようなことでもないと思いますよ。
— メゾン・ド・ヌーヌー@ファッション垢,LGBT (@SirWilliamNu1) August 4, 2019
分からなくても、よいと思います。
— くまねこ (@kumaneko_000) August 4, 2019
僕の考えとしては
「うつ病の僕でもうつのことをそんなに分かっていないから、非当事者はもっと分からないだろう」
です。
僕の場合は、他人の疾患の苦しみを知ろうとしたところでプラスにはならないし、マウンティングにもなりかねない。
直接理解を求められない限り、他人の疾患は分からないままでいようと思っています。
僕は双極性障害や発達障害の理解者だなんて言えない
うつ病のことなら、今まさに闘病中なので少しは分かります。
ですが、その他の疾患(双極性障害や発達障害など)のことは分かりません。
何をもって「理解」とするのかは、最初に書いたように人それぞれ。
僕は双極性障害のエッセイ本と発達障害の当事者レポートをそれぞれ2冊読みました。*1
あとツイッターで当事者何人かと交流し、実際に会った人もいます。
当事者からしたら、このような僕を「双極性障害/発達障害の理解者」と判断するでしょうか?
発達障害や双極性障害のことは診断された訳ではないので分かりません。知識としては当事者のツイートを見たり本を読んだ程度です。
— よっこい Yokkoi41 (@basquecci) 2019年8月4日
当事者からすれば、僕は「理解者」といえるのでしょうか?
アンケートを取ってみたら、答えにばらつきが出ます。
僕の意見としては、教科書的な知識は得ましたが、それをもって「自分は理解者だ」と名乗ることは当事者に失礼じゃないかと思っています。
なので、自分から「理解している」とは進んでは言いません。
(「うつ病のことは“少しは”分かる」と書いたのはそのため)
「わかってよ」じゃわからない。「どうしてほしい」を具体的に
姫野桂著『発達障害グレーゾーン』に「独りよがりのカミングアウトは意味がない」との記述がありました。
例えば自分が、社員が売り上げを出さないとすぐに潰れてしまうような会社の社長だったとしましょう。そんなある日、社員からいきなり「社長、私は発達障害があってツラいんです。わかってください!」とだけ言われたら、どう思うでしょうか。
(中略)
わかってほしいという一方的な要求ではなく「こういうことを具体的に助けてほしい。そうしたら私はこういう部分で貢献できます」という、具体的な手助けの方法や自分にできることを示す必要があるわけです。
(中略)
ビジネスもそうですし、家族や友人でも同じこと。人間関係はギブ&テイクですから「発達障害だから、本当の自分をわかってほしい」という主張だけでは、家族は「そんなはずはない」と否定してしまいますよね。
(68~69ページより一部引用、装飾は引用者による)
「わかってよ」じゃ、分かるはずがないんですよね。
「こうしてほしい」がないと、支援する側もどうしようもない。
まあ何を言っても分からない、通じない人もいるんだけどね…
現在僕は就労移行支援に通い、障害者雇用で再就職する準備をしています。
障害者雇用では、引用文のように、仕事をする上で会社側に配慮してほしいことを具体的に説明する必要があります。
例えば
- 「大きな音や雑音があると集中できないので、イヤーマフを使わせてください/静かな部屋で作業させてください」
- 「障害特性で疲れやすいので、会議の後には15分ほど休憩時間を頂けると効率よく作業できます」
- 「頭の中で整理するのが苦手なので、指示をされる時はメモを取る時間を頂き、復唱確認させてもらえると落ち着いて作業できます」
など。
他人から理解を得るには、まず自分の病状をしっかり理解する必要があるのです。
できているようで、意外とできていません。履歴書や障害特性書の添削を受けた時に気づかされました。
自分のことって案外分かっていないものです。
理解を得られやすくするには?
理解と、共感の間あたりが良いのかなぁ?と…悩むところです
— 紫 (@kyatoralove) 2019年8月4日
ツイート見たり本読んだり、そうやって関心寄せてくれるだけで、理解者って言って良いと思うんだよなあ。
— へら子@はてなブログ (@hnt_anpi) August 4, 2019
「言えない」っていう人とかは、なんというか、俺らのグループに入ってくんなよ!みたいな変な意識?意地?みたいなん持っちゃってるイメージ。
まあ私も当事者じゃないからアレなんすけど。笑
なんか例えば鬱病も同じくらいの重症度だったとしても一人一人症状は違うわけで、究極的には誰も誰かの理解者とは言えないんじゃないかなって。。
— がやちゃんぺい (@buddhagaya_chan) August 4, 2019
アンケートのツイートに寄せられたコメントです。
「理解」に対する考え方や基準がこれだけ違います。
突き詰めて言うと、100%の理解は不可能で、誰一人として誰かの理解者とはいえないわけです。
まとめとして、理解を得られやすくするには
- 「このラインまで知ってもらえればOK」と「理解」のハードルを下げること
- 「こういうことで困っているから、こうしてほしい」と具体的に助けてほしいことを伝える(→「○○ならできる」も伝える)
じゃないかなあと思います。
そして、
自分の「理解」への価値観で、自分を苦しめていないか?
今一度考えてみてはどうでしょうか。
*1:読んだ本一覧:
【感想】姫野桂『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』
まい『まいちゃんの双極取扱説明書: そう&うつなあなただってきっと大丈夫。』