年末の整理大掃除 最大の足枷「もったいない」
「もったいない」
きゃりーちゃんもよく言ってます。
モノを大切にする、素晴らしい心です。
ですが、その「もったいない」は本当に「もったいない」のか? というのが今回のお話です。
結論を言うと、「もったいない」思考は見直しましょう。
愛読書『人生を変える断捨離(やましたひでこ)』によると、「もったいない」「捨てられない」と感じるのには、次の3つの軸が関係しているそうです。
- モノ軸
- 他人軸
- 時間軸
どういうことか、詳しく説明していきます。
「まだ使える、置いとこ」モノ軸
「まだ使えるのに捨てるなんて、もったいない!」
親にさんざん言われたし、自分でもそう思うことは多々あります。
(自分が)欲しい、(自分が)使いたいじゃなく、「使える/使えない」というモノ主体で考えるのがモノ軸です。
動かなくなったり古くなった使えないモノは、迷わず捨てると思いますが(それでも残す人もいるけど)、そうでなければ全て部屋に保管することになります。
昔はほんとにモノが少なかったようですが(だから「モノは大事にしなさい」と代々教えられてきた)、今はほっといても要らなくても無限にモノが増えて、あっという間にゴミ屋敷になる時代。
「使える/使えない」の判断基準だと全部「使える」になっちゃいます。
整理しようにもこれでは何も片付きません。
ではどうするのか。
「使う」「使わない」
で分けるのです。
これは靴の記事でも書いたとおりですね。
「モノを大切にする=いらなくても残しておく」は違います。
まだ使えるのに捨てるのは、僕ももったいないことだと思っていました。
しかし今では汚いホコリでコーキングして押し入れの奥底で二度と表舞台に出ることなく永久に葬ることのほうがもったいないと感じます。
モノを大切にする気持ちがあるなら、そんな状態でゴミのように放置するより「お世話になりました。ありがとうございました」とこんまりのように感謝を持って成仏させるほうが、モノに寄り添った気持ちではないでしょうか? 飼い殺し状態にさせるよりも。
メルカリや譲渡などで次に必要とする人の手に渡ることができれば、それはモノにとっての一番の幸せでしょう。
ということで、使いもしないモノを、いつまでも置いといても仕方ありません。
「使う」モノだけを厳選して残せばいいのです。
「せっかくあの人がくれたから」他人軸
「あの人からもらったから、なんか捨てるのは申し訳ない」
これはあるある中のあるあるでしょう。僕も頭から消えません。
モノはあくまでモノであって、意思とか怨念はないはずなのに、脳内で勝手に作りあげてしまう。ほんと厄介。
他人の存在が、自分の意思に影響するのが「他人軸」です。
「いつか使う」「前によく使ってた」時間軸
「いつか使うかも」
「ないと不安」
といった、未来への不安からくる「もったいない」、そして
「過去によく使ってた」
「思い出の品で捨てるのは忍びない」
という過去へのこだわりからくる「もったいない」
があります。
これらは「今」使うかという視点が欠けています。
認知行動療法で知られるマインドフルネスも「今ここ」に集中するし、林先生もいつやるか?と言えば「今でしょ」と言います。
「今」ってほんと大事なんですね。
「ツイッターは自由だ!」と同じように、自分のモノも自由だ
「ツイッターは他人の目を気にせず、自由につぶやくツールなんだ!」
「ファッションなんて、自分の好きな服を着ればいい!」
タイムラインを眺めていると時々見かける言葉です。
モノも同じです。
それらと同じように、自分のモノの取捨選択くらい自由であるべきなのです。
読んでた断捨離本にビビっときたフレーズがあったので、ここで引用して紹介します。
あなたが持っているモノを、あなた自身がもう要らないと考えたならば、もうふさわしくないと感じたならば、もう心地良くないと感じたならば、あなたが自由にすればいいのです。誰に遠慮する必要もありません。モノに義理立てする必要もありません。
(やましたひでこ『人生を変える断捨離』53ページより)
上にも書いたように、モノはモノでしかないのです。
確かに僕も、人からもらったモノや高かったモノなんかは処分しづらいです。逆に何のためらいもなくポイポイ捨てるのもどうかなという気もします。
けれどももう二度と使うことがないモノを、理由もないのに貴重なスペースを割いて永久保存するのも違うと思いませんか??
「高かったから」とか「プレゼントだから」とか「困るかも」とか、いろんな感情が混ざり合って、捨てられなくするのですね。
「もったいない」と。
miwaも言ってます。「複雑な感情全部捨てちゃえ」って。
これが大掃除で一番捨てるべきものでしょう。