「ぼちぼちゆっくり」はちょっと無責任 ~療養に専念できる「環境」について
「ぼちぼちゆるゆるいきましょう」
メンタル系のツイッターで時々見かける言葉です。
素敵ですよね。
殺伐とした閉塞感あるツイッターの世界ですが、闘病アカウントならではの温かさがあります。
「今日も仕事頑張るぞ」と言えば「無理しないでね」と
「死にたい」と言えば「大丈夫?」と
このように優しいリプが返ってきます。
フォロワーを「数」としか見ていないどこぞの界隈なんかより、こっちのほうが断然良いじゃないですか。
そうなんですが、、、
安易にこれらの声掛けをするのは少し危険です。
「はあ?何言ってんの」「何持ち上げてディスってんねん」と思った方もいるでしょう。
考えてみてください。
「死にたい」って、どう見ても普通の状態じゃないじゃないですか、大丈夫なはすがないですよね。
「無理しないで」といっても、どうしても無理をしないといけないことだってあります。
地雷ワードの記事にも書いたとおりです。
(「ゆっくり」も言ってしまえば地雷ワードです)
ゆっくりなんてしてられない現実
病気の療養には、時間をかけて休むことが大前提。
焦ってすぐ仕事復帰すると、また体を壊して余計悪化するのがお決まりのように言われます。
なので、皆
「ぼちぼちゆるゆる」
「ゆっくりいこう」
「自分のペースで」
とツイートしたり、他人に呼びかけるのです。
ですが、これらは
ゆっくり休める環境にある人にだけ言える言葉。
誰しもに言えることではありません。
「努力できる環境」
高学歴高収入の者が努力をして来たのは事実だし、本人がそれを誇るのも誤りではない筈。
— Eva (@evahpfbgk) 2019年7月2日
でも「努力できる環境」が既に1つの特権だと気付けない人は、悪気なく他人を踏み躙ってしまうよ。衣食住のどれかに不安を抱えた子供が、同じように学問に専念したり豊富な選択肢にアクセスできるか?という話。
成功した人は努力しています。
寛解した人も努力しています。
ですが、それは努力できる環境があってのこと。
上のツイートを見て気づかされました。
同様に、ゆっくりできる環境も1つの特権だと気づかないと、悪気なく他人を踏み躙ってしまうことになります。
ずっとゆっくりしてたら貧困になる
いやマジでそうなんですよ・・・
税金は働いてた前年度基準で取られます。貯金無い状態で就職して早々病気になったら破産します。
》就労移行支援を考えている人へ、タイミング次第で年間11万円損するから気をつけろ!!
》うつ病で休職したら会社から40万請求されて破産した - 逃げちゃダメか?
ゆっくりできる人って、パートナーや家族の援助に恵まれた人なんですよ。そこをどうか知ってほしい。
全然治ってなくても、焦ってでも働かないと生活が成り立たなくなります。
傷病手当金も期限があります。
障害年金だって、適応障害やパニック障害など「神経症」だと受給資格すらない。
( ^ω^)・・・生活保護があるでしょ
なーんか簡単に貰えると思われてるような節があるけど…
あなたは本当に実際そうなったら申請に行けますか?と言いたい。
貧困。
ほんとに舐めちゃいけません。
昔、緊急用にガラケーだけ持ってた。ネット接続がヤバいプランのやつを。生活が苦しくて。
— Fran*双極性障害 (@Fran38137381) 2019年7月3日
生活保護窓口に行った時
「ホームページに書いてあるので調べてから来てください」と言われ、教えてと泣いて頼んだんだよね。
生活保護担当者すらこれだけど、リアルの貧困は情弱になるのを知って欲しい。
ネット接続が高くて基本使用料が安いケータイしか持てないぐらい貧困に喘いでた時、情弱になりたくなくても情弱になるしかなかった。
— Fran*双極性障害 (@Fran38137381) 2019年7月3日
だから格安スマホの存在すら知らなかったし、知ったとしても調べることすらできないんだよね。
ネカフェに行って調べるぐらいならそのお金でご飯食べるってこと。
双極性障害の怖かったところは、ある日突然高額な借金の存在に気付き、ある日突然転落人生を歩むとこ。
— Fran*双極性障害 (@Fran38137381) 2019年7月3日
じわじわと貧困への道を辿るなら対処もできるけど、躁状態だとじわじわに気付かず大丈夫大丈夫と思ってる。
這い上がれたらかっこいいんだけど、その術が見つからないまま足掻いているところ。
「情弱・無知は損する」とかねてから感じていて、ブログでも書きました。
ですが、フォロワーさんの一連のツイートを見て情弱にならざるを得ない現実があることを知りました。
生活苦はここまでに陥ってしまいます。
僕は実家に住んでいますが、定年再雇用の父の手取りは10万あるかないか。母はパート、自分も毎月家に3万入れている状況です。
親も病気したら…と思うとゾッとします。
こんな状況でも「ゆっくり自分のペースで」なんて、してられますか??
声掛けは相手の状況を見極めて
地雷ワードの記事からですが、再度引用します。
この手の病気の人に対する接し方についてだ。「大丈夫?」とか「お大事に」とか「頑張って」といった言葉をかける方は多いと思う。言われた方は実際の状態とは無関係に「大丈夫です」か「ありがとう」と返すだろう。
この声がけについて、心底嬉しく思う患者もいる反面、めちゃくちゃ面倒に思う人もいるのだ。ちなみに筆者は後者。礼儀知らずな! とかよく言われるのだが……ぶっちゃけ言葉だけかけられても治療費の負担が減ったり、症状が改善したりしないので全く有難くないのだ。
ガチで苦しくてずっと寝ていたいような状況ですら返事を求めてくる人も割といて恐ろしい。筆者個人の統計によると、このやり取りに対する印象は無か憎悪かの2択。ゼロとマイナスでトータルではマイナスである。
かつては何も考えず、そして大して気持ちも込めずに「お大事に」とか言っていた筆者。しかし自分の経験から、今では相手が言われて喜ぶタイプか否かが明らかになるまでは何も言わないし、他人の病気や怪我についてはそう要求されない限り一切触れないことにしている。参考までに。
(潰瘍性大腸炎持ちがビッグコミック掲載の佐藤浩市氏のインタビューを読んだ感想 / あるいは潰瘍性大腸炎患者からの視点 | ロケットニュース24より。装飾は引用者による)
- 相手が声掛けで喜ぶタイプか
- 相手が療養に専念できる環境にあるか
記事のように、相手のことが明らかになるまでは、下手な声掛けは避けたほうが良いと思っています。
再度強調しておきますが、ゆっくり休むことは大事です。
焦って無理して体調崩すパターンがあまりにも多いので、ペースを抑えるように促すのはもはや当然のこと。
しかし、ゆっくり休める環境や状況にない人がいることも事実。
ゆっくりできるのは「特権」であることを知っておかないと、無自覚のうちに相手を傷付けることにもなりかねません。
収入が得られずに貧困に喘ぐのは、珍しいことでもなんでもありません。
一日を生きることに苦しんでいる人に「ゆっくりね」なんて声を掛けるのは、はっきり言って無責任。
理想論や綺麗事で片付けられる生易しいものではないのです。
「ぼちぼちゆるゆる」は自己暗示として
以上の理由から、相手の状況を把握しないまま、「ゆっくりね」と促すことは避けてください。
啓発ツイートとして多数に促すのは分にはまだいいです。「うつ病患者は休むのが仕事」と言われるくらいなので。
ですが、本音を言えば精神科医だけにしてもらいたいなあと思っています。
僕は人には言わないかな…
ぼちぼちゆるゆる自分のペースで(療養できる環境であれば)いきましょう、やな
— よっこい Yokkoi41 (@basquecci) 2019年7月3日
もちろんこれらの重要性は理解してるけど、一度残高ゼロを経験した身からしたらこんな言葉他人には絶対掛けられない
「自分がゆるくないから、自分への意識付けとしてツイートしている」
こういうツイートを見たことがあります。
これならありです。
「ぼちぼちゆるゆる行ってきます」
メンタルヘルスを広めたい当事者は、このように「自分が~~します」というスタンスで発信すると、角が立ちにくいかなと思っています。まあ余計なお世話ですけどね
「努力できる環境」
「ゆっくりできる環境」
自分はどうか、周りはどうか、
今一度考えていきたい問題です。